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2006/03/06

モバイル社会史~ケータイに見るコミュニケーションの変容 展示内容

060306_01 さる3月3日、4日に、東京・初台のNTT ICCで開催された、NTTドコモ・モバイル社会研究所のシンポジウムにて、「モバイル社会史~ケータイに見るコミュニケーションの変容」というテーマで、移動体通信の歴史を説明する端末展示、および映画映像等から風刺するモバイルコミュニケーションの変容についての論考を発表いたしました。東京大学大学院学際情報学府博士課程の飯田豊さんと共同発表という形で、飯田さんが映像表現から、私が実機からコミュニケーションの変容を論考していきました。指導は東京大学大学院・水越伸助教授。
 研究内容は、飯田さん共に、いずれ何かしらにまとめていきますが、ここでは展示した実機についてご紹介しましょう。

■展示ケース(1)
060306_02遠隔コミュニケーションの原点から見せちゃいましょうか、ということで、固定電話の歴史からスタート。たまたま古物商やっている知人kらいただいた骨董電話を引っ張り出してきたら、これが意外にも価値のある電話機である「デルビル電話機」であることがわかりました。飯田さんの解説では、個人の移動体コミュニケーションの源流は列車公衆電話であるということから、参考までにカード式車載公衆電話も並べました。以下、実機に添えた解説を引用します。

遠隔コミュニケーションの源流~グラハム・ベルが電話を発明したのは1876年。じつは日本ではベルの電話機をいち早く輸入し、1878年には国産電話機の1号が完成している。1890年には、本格的な実用電話機「ガワーベル電話機」が生まれ、徐々に「電話」という遠隔コミュニケーションが認知されていった。この展示電話機はガワーベル電話機に代わり1896年に登場したデルビル壁掛電話機。~デルビル壁掛電話機(1896~ 逓信省)

「電話」を象徴する形状の完成~戦後の復興を遂げ高度成長を目指した時期、徐々に家庭のシンボルとして君臨するようになった電話機がこの4号電話機である。交換手を通さず、直接目的の電話へ発信操作ができる「自動式」はこの電話機から始まった。バランスのとれたデザインは「電話」を象徴する形として現代まで引き継がれている。~4号自動式電話機(1950~ 電気通信省・日本電信電話公社)
…ちなみにこの電話機は、ISDN回線にパルスを通すTAを接続し、通話用端末として愛用していました(笑)

普及期の黒電話~1963年から4号電話機に代わって登場したのがこの600型電話機である。4号電話機に比べ3倍の感度を誇り、従来よりも細い電話線でも同等以上の通話品質を保つことができた。施設設置のコストダウンを図ることができ日本中の電話網の整備に一層の弾みがついた。全国の電話網を「自動化」させるために一役買った電話機といえる。~600型ダイヤル式電話機(1962~ 日本電信電話公社・NTT)

プッシュホンの登場~回転式のダイヤルを廃し、代わりに数字キーを配置して、電話番号の交換機への伝達に番号と対応した音の周波数信号(DTMF)を用いたサービス提供が開始された。登場当初は「押しボタン式電話」と呼ばれたが、1970年に公募により「プッシュホン」と命名。このDTMF(プッシュトーン)はのちに、電話回線を通じて機器を操作するという、「通話」以外の使用方法を実現させた。~600型プッシュ式電話機(1969~ 日本電信電話公社・NTT)
…じつは私はこの600型プッシュホンだけ持っていませんでした。どうせ秋葉原のジャンク屋で売っているだろうとタカをくくっていたら…、ありません。困っていたら、なんと逓信総合博物館が貸してくださいました。関係者の皆様に感謝いたします。

陸上移動通信サービスも公衆電話から【参考展示】~『天国と地獄』『新幹線大爆発』では列車公衆電話が登場したが、個人・法人が契約できる陸上移動通信サービスとして自動車電話が登場する以前は、この列車公衆電話が唯一の移動中に利用できる電話サービスであった。当初はコイン式電話機が列車に設置され、テレホンカード登場後は順次カード式に切り替わっていった。鉄道以外に、バス等にも搭載されるようになった。この公衆電話機は1990年代後半にタクシー向けとして開発された小型横置きのタイプである。~新小型共通横型カード式車載公衆電話(1990年代後半 NTTドコモ)

■展示ケース(2)
060306_03このブースは黎明期の移動体通信の展示です。残念ながらTZ-801は所有していないのですが、私のコレクションのTZ-802A以降からピックアップしております。セルラー初号機であるHP-101や、IDOの初代ショルダーなんかも入っています。

自動車電話から始まったプライベートモビリティ~携帯電話のルーツとされる自動車電話がわが国に初めて登場したのは1979年。このTZ-802型は初期アナログ方式の第二世代のモデルにあたる。契約には20万円の保証金のほか、施設設置負担金等十数万円の初期費用が必要で、移動しながらのコミュニケーションの便利さを享受できる層はごく一部の人たちであった。~TZ-802A型自動車電話無線機+自動車電話ハンドセット(1986 NTT)

“持ち歩ける電話”ショルダーホン~自動車電話を車外でも利用したいという要望から、無線機、ハンドセット、バッテリーを一体に組み合わせたショルダーホンが登場。サービスエリア内という条件付ながら、これによって初めて「場所を問わず電話できる」環境が実現した。同時期にハンディタイプの「携帯電話」も登場しているが、出力が大きいショルダーホンのほうが確実に発着信でき、ニーズが高かった。~TZ-803Aショルダーホン(1988 NTT・NTTドコモ)

製品名もそのまま“携帯電話” ~ショルダーホンよりもさらに可搬性を重視し登場してきたものが「携帯電話」である。初代の携帯電話(TZ-802B型)は1987年に登場。この端末は当時の第三世代目のアナログ通信方式である大容量方式(NTT方式とも呼ばれる)に対応したハンドセットである。とはいえ、契約時初期費用はまだ高く(保証金10万円+初期費用十数万円)、基本使用料(無線機レンタル料を含む)も自動車電話やショルダーホンより高く設定されていたため庶民からは縁遠い存在であった。~TZ-803B携帯電話(1989 NTT・NTTドコモ)

NCC事業者の参入で競争の時代へ~当時、国内の通信事業はNTTの1社独占状態にあったが、のちに新電電(NCC=New Common Carrier)が参入し通信サービスの競争の時代に突入していった。移動体事業においては1988年に関東甲信越・中部にて営業免許を取得した日本移動通信(IDO)、1989年に関西ほか、IDOのエリア外にてサービス展開することになったセルラー電話が参入し、サービス競争の幕開けとなった。~MT-10型ショルダーフォン(1988 IDO)

関西エリアではセルラー電話誕生~関西エリアでサービス提供を開始した関西セルラー電話(DDI系のNCC)の1号モデル。セルラー電話グループはアメリカ・モトローラ社が開発したTACSアナログ方式を採用。このモデルはセルラーグループの大株主でもある京セラ製。~HP-101ハンディフォン(1989 セルラー)

ショルダーフォンも小型化を歩む~当時の移動体サービスでは、自動車電話、ショルダーホン、携帯電話という3種類のサービスを各社がそれぞれ提供していた。セルラーでもこの端末のようなショルダーフォンを用意していた。NTT向け、IDO向けのモデルに比べ、通信方式が異なるセルラーは独自のデザインを追及し、先進性のブランドイメージを築いていった。~CP-201ショルダーフォン(1989 セルラー)

■展示ケース(3)
060306_04このケースは、モトローラのマイクロタック(セルラーHP-501)から始まり、ムーバ誕生、通信自由化とNCCの参入など、携帯電話の大衆化への歩みを説明しています。

小型端末開発競争に拍車をかけた“マイクロタックショック”~米国モトローラ社が開発した、当時世界最小最軽量の携帯電話「マイクロタック」の日本向け端末。セルラーグループがラインナップに加え、日本の携帯電話関係者を震撼させた1台。このマイクロタックが発表された当時、NTTはTZ-803B型「携帯電話」を発売した直後だった。その「携帯電話」(容積約400cc)よりもはるかに小さくポケットにも入れられる「マイクロタック」(容積約300cc)は、日本の携帯電話端末開発関係者のやる気に火をつけることになった。俗に言う「マイクロタックショック」である。
HP-501(1989 セルラー)

“超小型”携帯電話「ムーバ」誕生~NTTはモトローラ社のマイクロタックに対抗し、容積200ccを目指した新端末開発を決めた。それまで日本の「携帯電話」は仕様からデザインまでをNTTが決め、同型の端末を複数のメーカーが製造するというスタイルを取っていた。黒電話時代からの名残といえる。しかし、このムーバ以降は基本的な仕様のみを通信事業者で決定し、その仕様に沿って各端末メーカーが独自のデザインや工夫により端末を開発するというスタイルに改められた。端末にはメーカー名を示すイニシャルも添えられた。現在の携帯電話開発のスタイルがこのときからスタートしたことになる。
ムーバP(1991 NTT・NTTドコモ)
ムーバN(1991 NTT・NTTドコモ)
ムーバD(1991 NTT・NTTドコモ)

デジタル方式スタートで携帯電話は第2世代へ~全国に広がっていたアナログのネットワークに加え、将来の周波数不足に備えるデジタル通信方式「PDC方式」のネットワーク構築が始まった。まずは首都圏からデジタル方式がスタートし、このネットワーク用に対応した端末としてデジタルムーバが登場。
デジタルムーバN(1993 NTTドコモ)

携帯電話が大衆向け商品への転換期~お買い上げ制度スタートとなった1994年、各端末メーカーは自社製品を購入してもらうように競うように創意工夫を凝らしたモデルを次々に発表していった。わが国おける携帯電話の歴史の中で、最もユニークな端末が数多く登場し、携帯電話サービスに彩りを加えていたのが1994年から1995年にかけてだったといえる。この当時、初期費用を含め携帯電話購入に必要になる金額はおよそ10万円。
HP-231(1994 セルラー)
CM-H555(1994 ソニー)
T202(1994 IDO)
T205(1994 IDO)
HP-831(1994 セルラー)

1.5GHz帯利用の新規通信事業者参入~1.5GHzという新しい周波数帯を使って新規参入を果たしたデジタルホングループ(現在、ボーダフォン)、ツーカーグループが1994年から東名阪エリアにてサービス提供を開始した。また東名阪以外の地域ではデジタルツーカーグループ(現在、ボーダフォン)が参入し、デジタルホングループ、ツーカーグループ相互とのローミング関係を結ぶことで全国ネットワークを形成していった。
TH241(1994 ツーカーセルラー)
DP131(1994 デジタルホン)
DP151(1994 デジタルホン)
DP112(1995 デジタルホン)
TK-22(1994 ツーカーホン)
DP-113(1996 デジタルツーカー)

PHSの誕生~家庭用コードレスホンが外出先でも利用できたら、という発想から屋外のスポット的なエリアで通信できるPHSサービスが1995年にスタートし、NTTパーソナル(現在、NTTドコモ)、DDIポケット(現在、ウィルコム)、アステルの各グループが参入した。
101Y(1995 NTTパーソナル)
102H(1995 NTTパーソナル)
PHS-P101(1995 三洋/DDIポケット)
A152(1995 アステル)

■展示ケース(4)
060306_05こちらのケースでは、文字によるコミュニケーションの変遷を説明しています。ポケベル+ケータイ複合機から始まり、ショートメッセージのスタート、そして今は無き日本シティメディアのMESSAGEなんかも並べています。ポケットボードも重要なアイテムと思うのですが、自分の実機が倉庫から見つからず、急遽ドコモさんからお借りしました。

ポケベル搭載で文字コミュニケーション~ポケベルによるコミュニケーションが若年層世代に浸透していたこの頃、携帯電話(PHS)とポケットベルを一体化したモデルが登場した。携帯電話(PHS)と、ポケットベルのそれぞれへの加入契約が必要で、携帯電話(PHS)の電話番号とポケットベルの呼び出し電話番号をそれぞれ使い分ける必要があった。しかし、この1台で文字メッセージ(ポケットベル機能)を受信でき、また公衆電話が無くとも相手のポケベルに文字メッセージを送信することもでき(電話機能)、場所を問わず文字メッセージの送受信を1台の端末で実現できた。このモビリティのよさは、その後の携帯電話へのメール機能搭載の標準化を想像させるものとなった。
D320(1996 IDO+テレメッセージ)
103P(1996 NTTパーソナル+NTTドコモ)
A831(1996 アステル+テレメッセージ)

「メール」機能が標準化へ~NTTドコモで、ショートメール機能を初めて搭載したのが203シリーズである。当時は半角カナ文字のみの対応となっていた。これら文字メッセージの送受信機能を備えた携帯電話へは、公衆電話等からも文字メッセージを送ることができ、いわばポケベルの文字メッセージ機能を携帯電話に標準搭載したようなものであった。ポケベルユーザー層を携帯電話ユーザーとして取り込むことが当初の目的であったが、瞬く間に携帯電話を使ってのメールコミュニケーションは定着していった。
デジタルムーバP203(1997 NTTドコモ)
デジタルムーバN203(1997 NTTドコモ)
デジタルムーバD203(1997 NTTドコモ)
デジタルムーバF203(1997 NTTドコモ)

携帯電話が漢字かな対応に~メールを使ったコミュニケーションは、携帯電話の機能にも格段の進化を迫るようになった。それまで半角カナ文字でしか作成できなかったメール機能は、この時期より全角漢字かな文字に対応するようになった。漢字かな変換機能が各携帯電話端末に装備されるようになり、携帯電話は「情報ツール」としての性格を強めていくことになった。
デジタルムーバP206(1998 NTTドコモ)
デジタルムーバN206(1998 NTTドコモ)

文字メッセージ専用サービスも誕生~メールによるコミュニケーションが定着し、それ自体をメイン機能としたモデルも登場した。「文字電話」というシリーズ名で登場したDDIポケットのメールサービスでは早い時期からEメールと相互に送受信できたため、当初は若年層を狙った商品であったにもかかわらずビジネス層にもメール受信専用端末として受け入れられた。また、メール機能をエンタテイメントと結びつけた「たまピッチ」は、当時大流行した「たまごっち」をPHSに内蔵したモデル。メール機能を使って他のユーザーと「たまごっち」の行き来をさせることができた。コンシューマ向け文字メールサービスが華やぐ一方で、早くから独自のパケット通信網を整備し、文字データ通信を提供してきた日本シティメディアは、メサージュ(MESSAGE)やQメールなど独自の文字データ通信サービスを提供していたが、累積赤字解消に苦しみ1998年に解散した。
MESSAGE(1996 日本シティメディア)
PM-T101(1999 東芝/DDIポケット)
BT-P101(1997 九州松下・バンダイ/DDIポケット)

Eメールをモバイルする~携帯電話内蔵の文字メッセージ機能では、送受信できる相手は同じ通信事業者の携帯電話同士に限られた。また文字入力には端末のテンキーから文章を作成する必要があった。PCユーザーはノートPCと携帯電話を接続し、いわゆる「モバイル通信」によって場所を問わずEメールの送受信をしていたユーザーもいたが、それはごく一部の利用者に限られた。もっと手軽にEメールの送受信を場所を問わずやりたい、という要望とうまく合致し、大ヒットとなったのがこのポケットボードである。QWERTY配列のキーボードを備えたコンパクトなメッセージツールは、携帯電話を接続することで場所を問わずメールの送受信を可能にした。ポケットボードは携帯電話を接続して使用したが、通信機能を内蔵させ単体でメールの送受信ができる端末「メッセージウェアエクシーレ」も登場した。
ポケットボード(1998 NTTドコモ)
メッセージウェアエクシーレ(1999 NTTドコモ)

■展示ケース(5)
060306_06こちらでは、IP接続サービスまでの流れと、その後のサービス・端末の多様化など現代までを説明しています。

データ通信機能内蔵端末の明暗~データ通信機能も備え、音声通話のほかに端末単体でパソコン通信などのデータ通信の利用やメールの送受信などが可能な端末が1998年前後に多数登場した。しかし、端末形状が特殊だったため一般ユーザーには受け入れられず、大きく販売を伸ばすことはなかった。これらデータ通信機能一体型端末の失敗は、のちに登場する「iモード」対応端末が「普通の携帯電話のカタチ」にあえてこだわることで成功を収めたのと対照的であった。
MC-01(1997 東芝/DDIポケット)
ディアロ(1998 NTTドコモ)
SH601em(1998 NTTドコモ)
モエムD(1998 NTTドコモ)

端末単体によるIP接続スタート~携帯電話にブラウザとメーラーを搭載し、端末単体でインターネットコンテンツへのアクセスとEメールの送受信を可能にさせた、いわゆる「iモード」が1999年2月22日よりスタートした。これを追うようにIDO、セルラー(現在、au)はEZweb(Ezaccess)の提供を、Jフォン(現在、ボーダフォン)もJスカイサービス(現在、ボーダフォンライブ!)をスタートさせた。携帯電話によるコミュニケーションに、新たに「コンテンツ」という新しい概念が誕生し、そして定着していった。
F501i(1999 NTTドコモ)
N501i(1999 NTTドコモ)

自分の携帯電話をそのまま海外で(国際ローミング)~海に囲まれた日本においては、自分の携帯電話をそのまま国外でも利用するという発想が無かった。しかし世界は国際間で共通の通信方式を取り入れるなどして国際ローミングの利用が進んでいた。日本でもいよいよ海外でそのまま自分の携帯電話番号で海外でも利用できる国際ローミングがスタートした。CdmaOne方式を採用したIDO、セルラー(現在、au)が、まずは韓国、香港での利用を可能にし、その後北米やアジアへと利用可能地域を拡大していった。国際ローミング対応の最初のモデルがC111SAで、同型のモデルは韓国や香港などでも発売された。
C111SA(2000 au)
C111SA(2000 韓国新世紀通信)

ディスプレイの進化が始まる~コンテンツなどマルチメディアな機能を携帯電話で楽しむために、ディスプレイのカラー化は必然的だった。1999年12月にわが国初のカラーディスプレイ搭載モデルJ-SH02が登場。その後登場する端末は順次カラーディスプレイが採用されていった。ディスプレイの進化は、このあとさらに高精細化、大型化へと歩んでいった。
J-SH02(1999 J-フォン)

ヒットを想定していなかったカメラ機能~携帯電話に初めてカメラを搭載したモデルが誕生した。いつでもどこでも持ち歩かれる携帯電話とカメラとの組み合わせの相性がこれほどまで良かったとは誰が想像したことだろう。カメラで画像を撮影し、これをメールに添付して送るという「写メール」も大ヒット。
J-SH04(2000 J-フォン)

端末形状の個性化・多様化へ~携帯電話に求められる機能が多様化してくると、特定の機能の操作性に特化したデザインバリエーションも必要になってくる。とくにメールなど文字によるコミュニケーションを主体とした利用には、従来の携帯電話とは異なるユーザビリティを求められる。NOKIAなど海外メーカー製端末をみてもわかるとおり、この事情は日本に限ったことではない。また、誰でもが利用するものとなった今、端末にも個性が求められるようになった。端末形状の多様化は海外のほうが先進的である。
SH2101V(2002 NTTドコモ)
7600(2004 NOKIA)
5510(2001 NOKIA)
wristmo(2003 NTTドコモ)

ネットワークをシームレスに、次世代への架け橋~携帯電話はもはや、通話やメールをするための端末を超え、人や機器へ自在にアクセスするためのユビキタスコミュニケーションデバイスへ発展しようとしている。利用状況に応じネットワークをシームレスにアクセスできたり、PCとの連携をはかるなどの機能が求められてくる。そういった次世代のモバイル活用イメージを髣髴とさせるモデルが登場し始めた。
M1000(2005 NTTドコモ)
W-ZERO3(2005 ウィルコム)

■展示ケース(6)
060306_07こちらでは、その昔のSF映画に出てきた世界を実現させた、TV電話、衛星電話などについて論考しています。実機はモバイルビジュアルフォンの1号であるDDIポケットVP-210、そして多数の衛星電話です。衛星電話のうち、MSAT、インマルサットM、イリジウム9505A、R190は衛星電話コレクター・鈴木経明氏に協力いただき、実機をお借りいたしました。その他は私のものです。

どこでも通信したいという思いをアタッシュケースに~場所を問わず通信したいという人類の夢は、衛星電話という新しい通信サービスを実現させた。海上で…、山頂で…、砂漠で…、携帯電話が利用できない地域でも通信したいという夢をアタッシュケースに詰め込んだ端末である。当初の衛星電話はさらに大きなものだったが、アタッシュケース大にまで小型化が図られたのは90年代中ごろのこと。MSATはアメリカ大陸を中心にサービス提供している衛星通信サービス。
MSAT(1990年代前半 三菱電機)

衛星電話の代表格「インマルサット」~船舶向けに海上での通信サービスを提供する目的で設立したインマルサットは、赤道上の4機の静止衛星によりほぼ地球全域をカバーする衛星通信サービスとして広く利用されるようになった。現在、最大448kbpsのパケットデータ通信も可能な第4世代衛星(I-4)の打ち上げが行われている。高軌道の静止衛星との通信のため、アンテナを衛星方向に向け静止した状態で通信を行う必要があり、小型化が図られつつあるとはいえ「携帯電話」同等の利用性は未だ実現していない。
インマルサットM(1995 NERA)

まさに衛星“携帯”電話、イリジウム~「通話エリアは地球です」をキャッチフレーズに華々しくデビューしたイリジウム衛星電話サービス。モトローラや京セラなどの出資により発足したイリジウムLLCによって実現。低軌道周回衛星を使うことで端末の小型化を図り、まさに衛星“携帯”電話。加入者を集めることができず、惜しくも2000年3月に経営破綻。その後2001年春より新しい経営体制によりイリジウムサテライトLLCがサービスを再開、現在に至っている。
SS-66K初期モデル(1998 京セラ)
SD-66K後期モデル(1998 京セラ)
9500ポータブルホン(1998 モトローラ)
9505Aポータブルホン(2005 イリジウム)

アジアエリアの衛星通信サービス、エイシス~アジアエリアをサービス提供地域とする衛星携帯電話サービス「エイシス」。本社をマレーシアに置き、2001年にサービス提供を開始している。端末は衛星電話としては最も小さい。GSM方式の陸上携帯電話サービスとのデュアル端末が用意され、携帯電話のエリア内では携帯電話サービスを利用し、圏外では衛星通信を利用するといった使い分けを実現している。
R190(2001 エリクソン)

■触れる端末たち
PAP_0024天井からは、色々な端末がオブジェとしてヒモでぶら下げられ、実機に触れるコーナーも設けました。このコーナー用には300台程度提供したのですが、バランスの関係から100台程度にとどまっていました。ランダムに色々な端末がぶら下がっていたので、ちょっとした宝探し気分を味わえるものでした。

シンポジウム閉幕で、この展示も撤収となりましたが、いつぞや端末のコレクション展示をしたい、という夢が小規模ながら実現しました。このような機会を与えてくださったモバイル社会研究所、および関係者の皆様に感謝申し上げます。

[木暮 祐一]

Posted by 木暮祐一 日記・コラム・つぶやき |

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